学級創り ちょっと一工夫 |
この稿のテーマは、工夫です。 ほんのちよっとしたことで、子どもはよくも悪くもなります。 ほんのちよっとしたことで、学級はよくも悪くもなります。 「一工夫」してみませんか。 |
あいさつ | |
忘れ物 | |
よけいな一言 | |
とっさの一言 | |
切りかえ | |
タイミングをつかむ | |
わずかな違い | |
180度の違い | |
180度の違い 2 教え愛 | |
プラスの見方、マイナスの見方 | |
共喜 | |
準備 わずか5分でこの違い | |
見えない何か 思いの力・言葉の力 | |
パワーを送る | |
パワーを集める | |
自分に何ができるか 聴き方 | |
子どもの味方 | |
キャッチ 無意識に見る | |
成長の過程を見る | |
本当の解決策 | |
1+1は2にならない 打ち消し会う関係、波及し合う関係 | |
3年目の奇跡 | |
大化け | |
変換器 | |
呪縛 | |
やる氣にさせる方法 | |
ちょっと違う発想で | |
もっと私を氣にかけて |
あいさつの指導 「あの子、あいさつしないんですよ」 という話をよく聴きます。 教師からあいさつすれば、子どもはあいさつするものですけど…。 中にはしない子もいるでしょう。 あいさつしない子を怒ってしまうのは、ちょっと待ちましょう。 あいさつしなかったのでしょうか。あいさつできなかったのでしょうか。 なぜしないのかを考える必要があると思います。わざと無視しているのか、がつかないのか、面倒くさいのかなどなど。よく見る必要があるでしょう。それをしないで、子どものせいにするのはいただけません。 自分のことを振り返ってみましょう。 あいさつされたのにあいさつできなかったことはありませんか。 私はけっこうありますよ。あっと、思ったとき相手は通り過ぎて…あいさつしそこなってしまうことがあります。 用意ができていないとき、反応が遅れるのです。 相手の用意ができるように声をかけてみるといいと思います。 まず、「○○君」と声をかけます。 相手がこちらを向きます。 目があったところで「おはようございます」という。 そうすると、ほとんどの場合「おはようございます」とあいさつがかえってくる。 これは、私の経験です。 ちょっと工夫するだけで、結果は大きく異なってきます。 料理と同じで一工夫を。 |
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あいさつ2 お礼をいわないのは 「ありがとう」をいわないわけ 「お礼をいわないんだから」 何かをしてあげたのにお礼をいわれなかったことはありませんか。 私はよくあります。 例えば、次のようなことがありました。 「先生、一輪車なおして」 サドルが曲がってしまったのでなおしてほしいというのです。 なおします。 「はい」 「あっ、なおった」 といっていってしまいました。 これは一つの例です。 しかし、同じようなことはたくさんあります。 礼儀知らずな人が多いのでしょうか。 ちょっと待ってください。 ほんの少し工夫すると、違ってきます。 なおします。 「はい」っとはわたしません。 「ちょっと、乗ってごらん」 「ちょうどいい」 「よかったね」 「ありがとう」 なおったとき、子どもの頭の中は「なおったー」でいっぱいなのです。 お礼のほうには、意識がいかないのです。 ちょっと時間をおくと、意識がもどります。 そうすると、たいていの場合お礼をいいますね。 ですから、子どもの意識が戻るようにちょっと間をおくといいのです。 先日、先輩の先生にパソコンのことを聴かれました。 うまく印刷できないので、どうしたらいいか相談されたのです。 私がやると、すぐに印刷できました。 「ああ、そうやればいいのか」 その人は、お礼をいいませんでした。 大人でもこうなのです。 もし、私が、相手の意識を戻す手だてを講じていたら「ありがとう」といっ たでしょう。この場合、私より年上の人だったので、やりませんでした。 |
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忘れ物の指導 ■考え方 「うちのクラス、忘れ物が多いんです」 「専科の授業に行くとき、何も持っていかないんです」 という話を聴きました。 忘れ物で苦労しているようです。 「口が酸っぱくなるほど、忘れ物をしないようにっていっているのに…」 どこでもありそうな光景ですね。 これで忘れ物がなくなったら、教師はいりませんよ。 ただ口だけで指導しているだけです。忘れ物をさせないための工夫がありません。 これはプロの指導とはいえません。 読者のみなさんは、どんな工夫をしていますか。 えっ、私ですか? 私の場合、何もしていません。 忘れ物についてあれこれいうことはありません。 忘れ物は、バロメーターの一つだと思っています。 授業がおもしろくない、教師への反抗などが、忘れ物という形としてあらわれると考えています。 ですから、忘れ物をなくそうとやっきになるのは、本末転倒です。私の場合は。 忘れ物をする原因は、他にあるのです。直接そのものを指導しても直りません。 指導すべきは、他にあるのです。 まずは、教師の姿勢です。 ・持ってくるのが当たり前という傲慢さ。 ・いえばできるという安易な心。 この意識が変わらない限り、子どもを責めます。自分の指導不足を棚に上げます。子どもたちは、教師の傲慢さを敏感に察知します。そんな教師のいうことを聴きたくないのです。 忘れ物は、教師の傲慢さを教えてくれるメッセージなのです。 意識を変えましょう。 授業がおもしろければ、忘れ物する子は少なくなります。努力すべきは、授業なのです。自分の授業がよくないのを棚に上げ、子どものせいにするのはやめましょうね。 次は、具体的な指導を紹介したいと思います。 ■具体的指導 忘れ物が多い と悩んでいる人がいます。 けっこう多いのではないでしょうか。 ひどい人になると、 「授業を受けさせません。担任の先生と勉強してきなさい」 と追い出すのです(専科の授業 こういう人を、なんにもせんか というのですね) これってかなりおかしいですね。 しかし、本人はいい指導をしていると思っているのですから、始末におえません。 ここまでひどくなくても、私から見て?と思うことはたくさんあります。 忘れると、罰当番として掃除をやらせる… 忘れ物をさせないために、親にしつこくいう。 教師も子どもも親もきりきりします。 それでも、忘れる子がいます。 忘れないことがそんなに大事なのでしょうか。 大事なのは、授業を通して子どもを伸ばすことではないでしょうか。 いつの間にか、忘れ物をさせないことに意識がいっています。 子どもを伸ばすことを忘れています。 これが本当の「忘れ物」なんですけどね。 よく相談を受けます。「忘れ物をさせないようにするにはどうしたらいいですか」 またか…説明してもわからないことが多いのです。 発想が違うので、私のいうことがわかってもらえないのです。 少数ながら、わかってくれた人は行動し始めます。 例えば、次です。 赤鉛筆の忘れ物が多かったそうです。 「いくら指導しても、忘れる子がいる」 というのです。 「次のようにしてみてください」 赤鉛筆を、50本くらい買ってくる(ちょっとお金がかかりますけどね)。けずる。 それを箱に入れておく。 答え合わせの前に 「忘れた人は、借りにおいで」 といいます。 忘れた子には貸してあげるのです。 「そんなことしたら、いつまでたってももってきませんよ」 「あなたは、やったことがあるんですか」 「ありません。でも…」 「まあ、やってみてください」 少なくとも、教師はきりきりしなくなります。 忘れた子には、貸せばいいのです。 子どももきりきりしなくてすみます。 忘れたときは、先生が貸してくれるのです。 報告がありました。 1か月もしないうちに、忘れる子はほとんどいなくなったそうです。 中学校の先生でも、実践した人がいます。 やはり、忘れる子が少なくなったそうです。 これを、半年続けましょう。 それでも毎回もってこない子に対しては、その子に赤鉛筆をあげるのです。 その子の名前をていねいに書いて、赤鉛筆をプレゼントするのです。一言添えて。 10か月過ぎてももってこないようなら、 「そろそろ、赤鉛筆もってこようね」 といえばいいのです。 こんな感じでやっていくと、忘れ物する子は自然に少なくなっていきます。 教師の意識も変わります。 忘れ物で悩んでいる方、やってみませんか。 ■目的は違うところに 大事なのは、授業を通して子どもを伸ばすことではないでしょうか。 いつの間にか、忘れ物をさせないことに意識がいっています。 子どもを伸ばすことを忘れています。 これが本当の「忘れ物」なんですけどね。 ともすると、最初の目的を忘れてしまいますね。 人間の習性でしょうか? まずは、原点にかえりましょう。 「授業を通して子どもを伸ばす」にかえります。 そうはいっても、忘れ物で困っていることは事実です。 何とかしなければと思います。 ここで、多くの方が間違います。 子どものせいにしてしまうのです。 「忘れ物する子が悪い」と思ってしまうのです。 子ども側から見てみましょう。 だれだって「忘れ物をするのはよくない」「自分が悪い」とは思っています。 その子なりに、反省もしています。 しかし、教師にいわれるとかちんとくるのです。 意地になるのです。 なぜって? 先生が、自分に対して何もしてくれないからです。 冷たいからです。 厳しく注意されたり、怒られたりすると、子どもは「自分は愛されていない」と思ってしまいます。ですから、教師の思いと逆の方向に走ってしまうのです。 まずは、あたたかく接しましょう。 忘れた子のために、いろいろとグッズを用意しておきましょう。鉛筆、赤鉛筆、消しゴム、教科書、ノート、絵の具など。 子どもたちは、安心します。「この先生は、忘れ物をしても怒らない」「怒らないどころか、にこにこして貸してくれる」とうれしくなります。 自分が困ったとき、先生は助けてくれる。「ぼくが悪いのに、先生は、ぼくを責めない。それどころか、フォローしてくれる」と思うようになります。 このように子どもに接します。 子どもたちは、だんだんいうことを聴くようになります。 なぜって? 人間は、自分を愛してくれる人のいうことはよく聴くものだからです。 みなさんだって、そうではありませんか。 同じことをいわれても、素直に聴けるときと、反発するときがあるでしょう。 この人のいうことは聴きたくない!と思うことはありませんか? その通りだけど「こいつのいうことは聴きたくない」と思うことはありませんか? 私はありますよ(笑) 子どもにあたたかく接しましょう。恋人に接するように。 思っていてもだめです。 具体的に。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ |
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よけいな一言 10年くらい前のことです。 職員室で仕事をしていました 1年生が、やってきました。 「先生、校庭にお金が落ちていたのでもってきました」 その女の子はいいました。 まわりにいた教師たちはなんといったでしょうか。 「ありがとう」と軽くいったあとに、 「職員室に入るときは、『失礼します』っていうんですよ。黙って入ってきてはいけません」 などなど、3人がいっていました。 私は、思わずいってしまいました。 「なんで、よけいなことをいうんですか。あの子は、遊びの途中で、お金をもってきたんですよ。やりたいことをやめてもってきたんですよ。どうして、ほめてあげないんですか」 シーン。 どうしてよけいなことをいうのでしょうね。 「ありがとう。遊びをやめてもってきてくれたんだね。どうもありがとう」 といってあげないのでしょうか。 ポイントをはずしています。 ずれています。 これを毎日やられたら、子どもはたまったものではないでしょうね。 よけいな一言 あなたはいっていませんか。 私も、よくいってしまいます。いってから「しまった」と思います。 どうも、変な教師根性が抜けませんね(笑) 子どもを伸ばすのも一言、殺すのも一言 よけいな一言 いわないようにしませんか。 |
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とっさの一言 冬休みのことです。 公園で子どもたちが遊んでいました。姉妹のようです。 羽根突きをしていました。 何度やっても、お姉ちゃんが勝ちます。 しまいに、小さな妹は泣き出してしまいました。 どうするかな? 今度は手加減してやるのかな? 「ねえ、どっちが勝ったじゃなくて、何回続くかやろう」 妹がぴたっと泣きやみました。 さっきまでとは別人です。 にこにこしてやっています。 どんどんうまくなります。 20回以上続くようになりました。 私は、すっかり感心してしまいました。 勝ち負けにこだわる妹、悔し泣きする妹の態度が一変しました。 お姉ちゃんの一言で。 実に見事な一言です。 とっさの一言 なかなかいえるものではありません。 勝ってうれしい人がいれば、負けて悔しい人がいます。 勝負の宿命ですね。 それを変換しました。 勝負から記録づくりへの変換です。 どちらかから2人でへの変換です。 勝ち負けはありません。 2人が力を合わせないと記録は伸びません。 自然に力を合わせます。 相手の打ちやすいところへ打ちます。 どんどん上手になります。 学級づくりの秘訣は、このへんにあると思いました。 |
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切りかえ 終業式のことです。 終業式のあと、生活指導主任が冬休みの過ごし方について話しました。 「みなさん……早寝早起きして……食べ過ぎないように……あいさつをきちんと…」 などなど。 どこの学校でも見られる光景ではないでしょうか。 どこかおかしいと思いませんか。 自分にできないことを子どもにいうのはどうでしょう。 子どもには「早寝早起き」といっているのに、自分は「遅寝遅起」していませんか。 特に、正月ですからね。ふだんと生活のリズムが違うのは当たり前だと思います。 それを普段通りにやりなさい というのは無理ですよ。 普段通りだったら、正月ではなくなってしまうのでは? 子どもたちは、敏感です。 「あの先生は、えらそうなことをいっているけど、自分ではやらない」 一発で見抜かれてしまいます。 それがわからないのは教師だけです(笑) 私は次のようにいいました。 「遅寝遅起、大いにけっこう。正月しかできないことを楽しみましょう〜」 その他いろいろいいました。 もちろん、教師らしいこともいいました(笑) お正月を思いっきり楽しんだ子は、3学期にはいるとすぐに氣持ちを切りかえられます。 中途半端だと、なかなか切りかわらないのです。 「氣持ちを切りかえなさい」 といいつつ、「お正月どうだった」と聴いたり、正月についての作文を書かせたり…、ゲームをやったり… 子どもは氣持ちを切りかえようとしているのです。 休み氣分を引きずっているのは教師です。 私の場合、始業式から授業をします。 |
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タイミングをつかむ 私には2人の子どもがいます。 下の子は女の子、5歳です。 由紀子といいます。 保育園の年中組です。 がんこです。「そっくり」といわれます。 親がいくらいっても、納得しないとやりません。 似ていますね、だれかさんに(笑) 「おとうさん、カルタやろう」 冬休み、カルタをやろうといいにきました。 そういえば、最近文字に興味を持ちだしたようです。 さっそくやりました。 上の子は、男の子、1年生です。 結果は、上の子の圧勝。 下の子は、大泣きしました。 「由紀負けたー、竜くん(りょうといいます)勝ったー」 一度泣き出すと、なかなか止まりません。 なだめるとよけいに泣きます。 すごいライバル意識というか… 下の子は、負けず嫌いですね。 これまた似ています。 「じゃあ、由紀子一人でやろうか」 私が読み、一人で取らせました。 これなら、大丈夫です。 ときどき、私も取るふりをしました。 「あー、お父さん取ろうと思ったのに、由紀が取っちゃったー」 と泣くまねをしたり。お父さんは、大変です。 2日もやると、取るのが速くなってきました。 言葉を全部読まないうちに取るようになりました。 「お父さん、『わ』ってどれ」というように、聴かなくなりました。 覚えてしまったようです。絵で覚えたんでしょうね。 「今度は、由紀が読む。お父さん取って」 自分が読むと言いだしました。 「これ、なんて読むの?」 最初から、これです。 えらく時間がかかりました。 「わ…に…な……」 視力検査のようです。 ようやく1回終わりました。 「もう1回やる」 2回目スタート。 この日は、3回やらされました。いや、やりました。 次の日、またやりました。 どんどん読み方がうまくなっています。 「これなんて読むの?」と聴くことも少なくなってきました。 わからないときは、上の子が使っている「ひらがなポスター」なるものを見て、自分で探しています。 そうこうしているうちに、ひらがなを全部覚えてしまいました。 家内がいくら教えても、覚えなかった子が… 自分から字を覚えたのです。 カルタをやることで、一氣に覚えてしまいました。 上の子と試合をしても、かなり取れるようになりました。16枚くらい取ります。 ものごとには、タイミングが大事だとあらためて思いました。 いくらいっても、子どもがその氣にならなければ効果はありません。 子どもがその氣になったときがチャンスですね。 こんなときは、徹底的につきあいます。 こちらがあれこれいわなくても、子どもは自分でやります。 自分で伸びます。 すごいエネルギーです。 「お父さん、由紀がいっしょにカルタやってあげるね」 おかげで、私も読み札のほとんどを覚えました。 |
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わずかな違い お正月休み、家族旅行をしました。 土産を選んでいるときのことです。 (その地方の焼き物の)コーヒーカップです。 氣に入ったたものは、2つの店にありました。 それぞれの店で、1つずつ買うことにしました。 1つの店は、事務的な感じを受けました。 お釣りをもらおうと手を出したら、投げるように下に置かれました。 「ありがとうございます」の一言もありません。 すぐ次の客の会計をはじめました。 温厚な私も(笑)、かちんとしました。 次の店に行きました。 店員さんがにこにこしています。 「どちらからいらしゃったんですか」 「○○をごらんになりましたか。あそこはいいですよ」 と、声をかけてくれます。 買い物をして、お釣りをもらうとき… 「どうも、ありがとうございました。お釣りでございます」 ていねいに そっと、両手でお釣りを渡してくれました。 「ご旅行、楽しんでくださいね」 すっかりいい氣分になって店を出ました。 同じことでもこれだけ違います。 ほんのわずかなことですが、私の感情は180度違いました。 教育でも、この「わずかな違い」が大切だと思いました。 「わずかな違い」が、結果として大きな違いになります。 子どもが伸びるか伸びないか…わずかな違いではないでしょうか。 |
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180度の違い こんなことがありました。 ほんの些細なことです。 給食のかたづけ 「○○ちゃん、ちょっと通してくれる」 「うん」 私は感心してみていました。 うーん、いいなー。前だったら「そこどいて」といっていたのにな… 「通して」と「どいて」 話し手は同じような意味で使っています。 しかし、受け手はそう思いません。 「どいて」といわれて、いい氣持ちがする人はいないでしょう。 なにか、ないがしろにされている感じがしませんか。 相手の意志を無視 強行突破の「どいて」 相手の意思を尊重 やんわりの「通して」 いわれてみるとわかります。 使うときは無意識に 罪の意識はありません。 相手を配慮しているつもりになっています。 しかし、現実は相手無視になるのです。 配慮は、言葉に表れます。 言葉かけによって、結果は180度違ってきます。 天国と地獄です(経験者は語る…私は何度も…)。 考えないと、地獄へ直行! もっと、言葉を選ばなくては。 子どもに学びました。 |
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180度の違い2 教え愛 算数授業。 グループ学習です。 子どもたちは、自分たちで授業を進めています。 「これが、よくわからなんだけど」 ある子がいいました。 わからない子に対して、どう接するかな と思って見ていました。 「どこがわからないの」 班の子どもたちが聴いています。 その後、教え愛をしていました。 3年前は、「なんだよ、こんな簡単な問題がわからないのかよ。ばーか」と いっていました。 えらい違いです。 A「なんだよ、こんな簡単な問題がわからないのかよ」 B「どこがわからないの」 Aは、自分の視点でいっています。相手を見下しています。「おれが教えて やるよ」という感じを受けます。 Bは、相手の立場に立っています。ばかにしません。いっしょにやろうという姿勢が見られます。 意識が違いますね。 私の学級では教え合いの授業が多いのです。 これを、「教え愛」といっています。 |
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プラスの見方、マイナスの見方 仲良し学年集会がありました。 私の学級(6年生)は、1年生といっしょに百人一首をやりました。 1年生は、まだまだ覚えていないということです。 6年生が一人ずつついて、教えながらやっていました。 取り方を教えたり、ヒントをいったりしていました。 読み手の子も、ゆっくり読みます。 「…なほあまりある むかしなりけり」 「なお」と読むべきところを、「なほ」と読みました。 「けふ」は「きょう」と読みますが、「けふ」と読んでいました。 参観者の意見は2通りにわかれました。 「読み方ができていない」(Aさん) 「1年生に合わせて、「なお」と読むところを、わざとそのまま「なほ」に したんですね」(Bさん) 見方の違いが浮き彫りにされますね。 Aさんは、ミスを見ています。 Bさん、プラスを見ています。 配慮としても見ています。 本当のところはわかりませんが…(笑) どっちの見方がいいと思いますか。 |
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準備 ☆わずか5分でこの違い 月曜日のこと。 朝会での話です。 子どもたちは、かなり早めに体育館に行っていました。 私は例によって掃除をしていました。 いってみると… 輪になっています。 男子、女子にわかれて発声練習をしていました。 続いて、歌の練習です。 今日は讃歌を歌います。 その歌の練習です。 私の学校では、朝会のとき、校歌、または讃歌を歌います。 朝ということもあり、声が出ない学年があります。 杉渕学級も、いつもにくらべると声が出ません。 そうか。 以前、話したことを思い出しました。 歌い手さんが朝一番の番組に出演するとき、一晩起きているそうです。 寝てしまうと、いい声が出ないとのことでした。 さすがにプロは違いますね。 「よし、私たちも日曜の夜は起きていよう」(笑) 準備をさせたこともあります。 朝、教室で声出しをさせます。 歌を歌ってから、体育館に行かせます。 3年前はそうしていました。 まるっきり歌いませんでしたからね。 今は、何もしません。 しかし、自分たちでやり始めました。 女子だけやっていたこともありますが、全員がやったのは、初めてです。 結果やいかに。 出る 出る、いつもの倍くらいの声。 段違いでした。 やっただけのことはあります。 子どもたちも、びっくり。 大喜びしていました。 教室に帰ってから、感想発表。 盛り上がりました。 その日の自問ノート(日記のようなもの)は、このこと一色でした。 |
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見えない何か 1年生を受け持ったときのことです。 A子さんという子がいました。 花が大好きな子でした。 A子さんが育てる花は、元氣になるのです。 こんなに違うの!というくらい差が出ます。 「A子さんが育てる花は、元氣になるね!」 といいました。 「そんなことあるはずがない」 「その花がいいんだ」 論より証拠。 他の子がその花を育てることになりました。 A子さんは、一番育っていない、今にも枯れそうな花を育てることになりました。 不思議なことに、枯れかかっていた花が元氣になったのです。 逆に、元氣だった花が枯れてしまいました。 同じように水をやっているにもかかわらず… 子どもたちは、言葉を失いました。 元氣だった花が枯れてしまい 枯れそうだった花が 生き生き 否定のしようがありません。 「まいりました」という感じでした。 「どうして、A子ちゃんが育てると元氣になるの」 「教えて」 子どもたちが聴きました。 A子ちゃんが前に出ます。 ゆっくり語りはじめます。 「私…お花に話しかけてるの。『今日も元氣』とか、『さくのを楽しみにしているわ』とか」 「話しかけてるの?」 「花は言葉がわからないよ」 「そうだよ」 「ううん、私、わかると思うの」 「…」 その日から、子どもたちは声をかけ始めました。 すぐに行動しはじめました。 花に声をかけます。 他のものにもかけています。 教室の花、花壇の花が、いきいきしてきました。 枯れそうになっていた花も、息を吹き返しました。 しかし、中にはまだ納得しない子がいました(笑) いたずら好きの男の子たちです(私を含む)。 「先生、ぼくたち、まだ信じられない」 というのです。 そこで実験することにしました。 花を育てる実験です。 環境に差をつけて、種をまきました。 一方は、肥料を入れた花壇の土。 もう一方は、グランドのはしにあるやせた土です。 やせた土の担当は、もちろんA子ちゃんにお願いしました。 肥えた花壇のほうは、毎日水をやるだけです。声はかけません。 圧倒的な条件の差。 いくら声をかけても… さあ、どうなるでしょうか。 思いの力 言葉の力 はじめは、肥えた土のほうがぐんぐん伸びました。 やっぱりいくら声をかけても、土が悪ければ… みんなが思い始めた頃です。 なんと、やせた土の植物がぐんぐん伸び出したのです。 肥料など入っていない、グランドの土です。 それが、育っているのです。 常識では考えられません。 毎朝、A子ちゃんが、水をやりながら話しかけたのです。 奇跡が起こりました。 2か月たつと、逆転しました。 何でやせた土で育つんだ… 説明がつきません。 A子ちゃんの思いと言葉が栄養になっているとしか考えられません。 脱帽です。 このときから、私は思いの力、言葉の力を実感しました。 そうか…栄養というのは… 思い 思い 思い… 言葉、言葉、言葉… 言葉に思いをのせて 思いを言葉にのせて 植物でさえそうです。 まして人間だったら… パワーをもらって生きている 人間というのは、食べ物と水、空氣だけでは生きてていけないのです。 思いという栄養がなければ。 先人は、それを愛といいました。 |
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自分に何ができるか ある授業を見ました。国語の授業でした。 話し合いをしていました。 すごく声が小さい子がいました。 「聞こえません」 「聞こえないよー」 「もっと、大きな声でいって下さい」 の大合唱。 先生までが、 『大きな声でいいなさい。聞こえないでしょう』 という始末。 その子の声は、大きくなるどころかますます小さくなりました。 確かに、その子の声はとても小さかったです。私が耳をすませてもよく聴こ ませんでした。 聴き手を意識していなかったかもしれません。 指摘されてもしかたがないのです。 でも、ちょっと待ってください。 指摘されて、その子の声は大きくなりましたか。 なりませんね。 それどころか、ますます小さくなりました。 最後は、涙ぐんでいました。 次の機会に、大きな声で発言するでしょうか。 「もう、しない」と思ったのではないですか。 子どもたちも先生も、よかれと思ってしたことでしょう。 しかし、私には逆効果に思えました。 みなさんだったら、どういう指導をしますか。 私の場合も似たようなことがありました。 次のように指導しました。 『みんなは、○○さんの声が小さいといいましたね。では、○○さんの近くに行ったらどうですか』 子どもたちは、1年生(私が指導したのは6月です)。 私はさっと○○さんの近くに動きました。子どもたちも近くにきました。 『○○さん、いってみて』 ○○さんが話し始めました。 今度はよく聴こえます。 「先生、今度はよく聴こえた」 「○○さんが何をいっているかわかった」 「近くに行けばいいんだね」 「近くに行くと聴こえるんだね」 いかがですか。 このときから、「聞こえませーん」はなくなりました。 声が小さい子が発言すると、子どもたちはその子のそばに行くようになりました。 「聞こえませーん」これは、人のせいにしています。自分は何もしません。 相手が悪い ということになってしまいます。 もちろん、声が小さい子もよくないんです。聴き手意識が育っていませんから。 でも、それを指摘されても直りません。 それよりは、自分が動けばいいのです。 その子の近くに行けば、聴こえます。 自分が動くと、いろいろなことが変わってきます。 ・聴こうとします。 ・話し手の目を見ます。 ・うんうんなどと、反応して聴くようになります。 劇的な変化です。 やってみてくださいね。 これは、学級創りの根幹部分でもあるのです。 人のせいにしない。まずは、自分が動く。 極秘伝です(笑) あらゆることをこの点で考えるようになってから、私の学級は飛躍的によくなりました。 ・けんかがない。 ・男女の仲がいい。 ・仲間はずれをしない。 ・いじめがない。 などなど。 相手を責めなくなりますからね。このような変化が起こるのです。 責められないと、「私が悪かった」と反省するものです。 これが実感できたとき、変わります。 相手を責めるのではなく、自分に何ができるか考え行動するのです。 まずは、教師がやってみてください。 |
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成長の過程を見る 私事ですが、こんなことがありました。 息子(1年生)は、私と違って温厚な性格です(笑) 競争心というものが、まるで感じられませんでした。 何かやって負けても、悔しがることはありませんでした。 家内に、 「負けて悔しくないの!」 といわれても、 「悔しくない」 と答えていました。 ところが、最近変わってきたのです。 家族でカルタをやっていました。 私に負けて、大泣きしたのです。 おお、ようやく競争心が出てきた!と喜びました。 喜んでいる私とはうらはらに、 「負けたくらいで、どうして泣くの!」 「それくらいで、泣くんじゃありません」 の声。 おいおい、前は「負けて悔しくないの!」っていっていたんだよ。喜べばい いじゃないの。すごい成長なんだから。 私は、家内にいいました。 「そうか、確かに前はそうだったわね」 ときとして、前のことはすっかり忘れてしまっていることがありますね。 目の前の子どもだけを見て、何かをいってしまいます。 今の子しか見ていないのです。 そうすると、否定してしまうことが多いですね。 3学期になると、タイムリミットがせまってきます。 きりきりしてくる人もいると思います。 子どもができなくてイライラすることもあるでしょう。 そんなときは、今のその子しか見ていません。 ぜひ、成長の過程を見てください。 その子の成長過程を見て、成長を喜んでくださいね。 |
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子どもの味方 先日、こんなことがありました。 「○○さん、全然できないんだから。何度やってもできない…」 ある先生が怒っていました。 私は、複雑な思いで聴いていました。 ところが次の日、思いもよらぬ展開に。 「杉渕さん、○○ちゃん、問題の意味がわかっていなかったのよ。言葉の意味がわからなかったのよねー。できないはずよ。私、怒ったりして悪かったわ…」 とてもうれしくなりました。 その子も、その先生も、周りの人も幸せになったような氣がしました。 正面から見る、横から見る。 いろいろな見方があります。 自分の視点だけで見て、判断してはいませんか。 自分が正しいという前提にたつと、子どもが見えません。 フラットに見たいものです。 頭でなく、内部の感覚で見たいものです。 こうだと決めつけると、目の前にあっても見えません。 存在しているのに、見えないのです。 見えていると錯覚してしまうのです。 子どもの見方は、子どもの味方 角度を変えて 見てごらん ほら 見えてきた いいところ 見方が変われば 指導が変わる |
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キャッチ 給食のときのことです。 子どもたちに聴きました。 「昨日と今日の私、どこが違うでしょう」 「顔」 「性格」 「服は、同じだし…」 「下着」 「服は替わっても、中身は替わらない杉渕鉄良」(笑) 正解は、1人でした。 きょうちゃんが見つけました。 先日購入したジャージをはいてきたのです。以前のものとよく似ています。 ちょっと見たくらいではわかりません。 きょうちゃんは、朝一番に見つけたそうです。 すごいねーと、みんなは感心していました。 みーかがいいました。 「私、先生に興味ないから、服なんか見てないもーん」 みんな 大笑いしました。 「そうか、きょうちゃんは、私のことが好きなんだ」 「そ、それは絶対にない!」 爆笑。 ムキになっていうことないでしょうに。 みーかの言葉、もっともです。 興味がないと、変化に氣づきませんね。 意識しても、氣づきません。 最近、成長著しいきょうちゃん。 ちょっとした変化を見つけました。 見ようとしてみたのではありません。 無意識のうちにキャッチしたんですね。 さすがです。 |
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本当の解決策 鬼はどこへ… 節分になると思い出します。 もう10年以上前のことです。 節分集会をやっていました。 「心の鬼を追い出そう」というのがテーマでした。 各学級の発表が続きます。 私の学級でも、やりました(1年生)。 「ぼくは、弱虫鬼を追い出したいです」 「ぼくは、怒り鬼を追い出したいです」 一人ひとり、追い出したい鬼を発表しました。 ある女の子がいいました。 「私、鬼を追い出すことができません」 「どうして?」 みんなが聴きます。 「…鬼って、みんなに追い出されて…豆をぶつけられて…」 「…」 「鬼がかわいそう。悪いところばかりじゃないと思います…」 泣きながらいう女の子。 ものすごいショックを受けました。 子どもたちも同じでした。 みんなで話し合いました。 鬼と仲良くするのがいい ということになりました。 当時、学校には問題の人がいました。 授業中、授業をしないで将棋、囲碁をする、子どもを笛でたたく… みんな「はやく転勤すればいい」といっていました。 私もそう思っていました。 しかし… 女の子の言葉を聴いてわかりました。 追い出した鬼はどこにいくのだろう… その人がいなくなれば、学校はよくなります。 でも、転勤先の学校は? そうです。追い出しても、問題は解決しないのです。 このことがわかりました。 小さな子に教えられました。 私は人を責め、追い出そうと思い 女の子は、鬼をかわいそうに思い 私とは人間が違う… 小さな子に教えられました。 節分になると思い出します。 私を変えた女の子の一言を。 |
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共喜 交流授業で、4年生に歌の指導しています。 歌う声が思うように出ない子がいます。 放課後「教えてほしい」と5人の子がやってきました。 そのうち2人は付き添いです。 「どうしてきたの」 と聴いたのですが、答えませんでした。 きっと、うまく歌えない子を心配してきたのでしょう。 とてもうれしく思いました。 さっそく指導をはじめます。 いつもは、できないとすぐにあきらめてしまう子から。 サッカーをやっている子です。 先日、リフティングが100回できるようになったそうです。 「2,3回やってあきらめた?あきらめないでしょう」 「できるようになるまで、毎日練習した」 「そうでしょう」 「それなのに、歌はすぐにあきらめるんですか」 「…」 「同じくらい練習してできなければあきらめてもいいと思うよ」 と(^_-)。 これには納得したようです。 苦手なことはすぐ投げる 得意なことは挑戦する これが子どもです。 やる氣がない、やろうとしない できないのは当然です。 その態度が学級に伝染します。 学級の雰囲氣ががくんと悪くなります。 本人はそれに氣づいていません。 指摘してもわかりません。 自分のプライドを守るのに精一杯ですから。 練習開始。 個別に指導すると、どんどんうまくなります。 Mくんの声が変わりました。 歌う声が出ました。 「すごい」 「Mくん、歌う声が出たよ」 みんな大喜びです。 付き添いの子も、ジャンプして喜んでいます。 盛り上がってきました。 他の子もがんばります。 みんなできるようになりました。 「やった、やった!」 大喜びです。 まさに狂喜。 狂喜は共喜なんだなあと思いました。 |
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パワーを送る 4年生に歌の指導しています。 一人ひとりを指導します。 全員を指導するのに5分くらいかかります。 指導されている子は、一生懸命やっているのですが… 他の子は、見ていません。 手いたずらをしている。 鉛筆をいじっている。 他のことをしている。 自分には関係ないとでも思っているのでしょうか。 「パワーを送っていますか」 「?」 「…」 「○○さんが、歌がうまくなるようにって、パワーを送っていますか」 「○○さん、がんばれとパワーを送っていますか」 ウルトラマンティガ最終回の話をしました。 「○○さんができないのは、みんながパワーを奪っているからなんですよ」 「…」 「さあ、○○さんをじっと見よう。『がんばって』と、パワーを送ろう」 「見ろ」といっても見ません。 「聴け」といっても聴きません。 納得しなければやりません。 必要性も必然性もないからです。 自分がパワーを送ることで相手が変わる 自分が役に立っていることを知ると… 話は別です。 やる氣になります。 「○○さん、がんばって」 念じます。 みんなの目がその子に集中します。 ガンバレという応援の目です。 期待する目です。 そうすると… 不思議なことに、声が出るのです。 |
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パワーを集める 「元に戻っちゃいました」 前日とはうって変わった表情、がっくりのA先生。 ふざける子が出てきた、声が出なくなったというのです。 「だれがふざけているんですか」 聴いてみました。 「○○くんと△△くん…」 5人の名前があがりました。 「声を出さないのは?」 これまた5人の名前があがりました。 すぐ変わるがすぐ元に戻る これが人間です。 1回の指導でよくなれば、教師はいりません。 このようなことを話しました。 さっそくいってみました。 「パワーを送りましょう」 一人ひとりに歌わせました。 出るではありませんか。 むしろ、前日より出ています。 「いいぞ、その調子」 次は全員で歌わせます。 「今度は、みんなのパワーを集めましょう」 黒板の前に立ちました。 手を出します。 「ここに、みんなのパワーを集めましょう」 次の日… うれしそうなA先生の顔。 元に戻らなかったそうです。 朝から声が出たそうです。 元に戻らなくなりました。 毎日上達していきます。 リハーサル、全校児童の前で歌いました。 出ました。 人前では、声を出さなかった子どもたちが… 朝会後、5,6年生の前で歌わせました。 「4年生、すごく声が出るようになったね」 「よかったね」 「ぼくたちも、うれしいです」 6年生が声をかけます。 「本番は、たくさんの人たちが見ています」 「慣れるために、みんなはじーっと見てください」 5,6年生の視線が集中します。 雰囲気が変わります。 彼らは、応援のパワーを送っているのです。 ジーと見られている中、歌いました。 出ました。 そして本番。 4年生の番です。 みんなが「がんばれ」とパワーを送ります。 出た 出た 出た 会場からどよめきがおこりました。 |
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1+1は2にならない 交流授業。 6年生が下級生に歌を教えます。 途中で、私も指導します。 最近伸びてきた4人に声をかけました。 準備オーケー。 子どもたちに聴いてみました。 「この人たち(4人)と全員で歌うのと、どっちが声が出ると思いますか」 4年生全員が、全員のほうに手を挙げました。 判定は、6年生にしてもらうことにしました。 まずは、4人が歌います。 よく声が出ています。 次に全員で歌います。 4人より、声が小さく聞こえます。 「声が出たのは、どっちですか」 6年生全員が、4人のほうに手を挙げました。 「えっ、そんなはずないよ」 「もう一回やらせて」 もう一度やりました。 結果は同じ… 事実は何よりも強し。 納得せざるをえません。 「4人のほうが、声が出ている…」 大ショックの子どもたち。 しばし呆然 言葉が出ません。… 人数ではないんですね。 4人でも、24人より声が出るのです。 えっ、どうして? 6倍もの人数なのに… 説明できないこの現象。 頭混乱 ぐらぐらの4年生。 今までの発想を変えなければ… 説明できないこの現象… だれもが、人数が多い方が声が出ると思っています。 しかし、そうではないのです。 息がそろわないと、声が小さくなってしまうのです。 波と波がぶつかり合うと消えてしまうように、お互いのいいところを消し てしまうのです。 6年生(杉渕学級)でも、同じことがいえます。 今、卒業に向けて歌を練習していますが、歌いこんだ歌は、全然違います。 きれいです。声も出ています。 こんなにも違うの! というくらい違います。 次元が違います。 声がそろうと心もそろう 息を合わせて 響け歌声 どこまでも という感じなのです。 打ち消し合う関係 波及し合う関係 学級は、今、どちらの方向に進んでいますか。 |
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3年目の奇跡 歌の指導をはじめて10年。 その間、全員に歌う力をつけてきました。 たった1人だけ、歌う声が出ない子がいました。 その子は、私に反抗していました。 みんなががんばっても、その子はやりません。 「バカらしくてできるか」 というのです。 だんだん関係ができてきました。 1年後、その子も歌うようになりました。 しかし…声が出ません。 他の子は、みんなうまくなっています。 自分1人だけ… また、歌わなくなってしまいました。 「歌だけが人生じゃない」 「いいじゃないか、できなくったって」 その子には、いい点がたくさんあるのです。特に音読は上手です。 表情豊かです。 しかし、その子は納得しません。 出ない 出ない おいだけ 出ない 苦しんでいます。 それから、少しずつ練習を始めました。 ちょっとずつ ちょっとずつ。 声は出ません… そんなある日 声が変わりました。 わずかですが、確実に。 ここだ! ここは一氣にいくべきだ! 「もう1回」 何度も 何度も指導。 出た! その子の口から 出ました きれいな声が! みんなびっくり みんな大喜び 3年かかりました。 手を取りあって泣きました。 交流授業でその子はいいます。 「おいに(ぼくにという意味)くらべればいいじゃないか」 「声が出ないつらさ、よくわるよ」 なんと、下級生を教えているのです。 きれいな声で歌い、見本を見せています。 まだ、信じられません。 ある日、変身するんですね。子どもは。 あきらめたら負け あきらめたら負け その子に教わりました。 |
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大化け ある子が、歌の実行委員になりました。 ミニコンサート、卒業式に歌う歌を選んだり、みんなを指導したり するのです。 苦手なことはやらない子です。 失敗を恐れる子です。 しかし、苦手だと思っている歌の係になるなんて。 びっくりしました。 その子もびっくりしたようです。 自分が立候補するなんて… といっていました。 もちろん、友達に「やろうよ」と声をかけられたんですけど。 その子は、卒業式の呼びかけで「歌係に挑戦したこと」をいいます。 一番印象に残ったことだといいます。 確かにそうです。 歌係になってから顔が変わりましたから。 吹っ切れたというか。 目が変わりましたね。 いいことですね。 自分で自分を成長させる。 その氣になれば 1日で 一瞬で 子どもは 変わる… 大化けする… 教師って何でしょうね。 これまた3年かかりました。 |
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変換器 あの人は、いつも私を励ましてくれました。 落ち込んでマイナス思考になる私を、プラスに導いてくれました。 「そんなことないよ。絶対大丈夫だよ」 「杉渕さんならできるよ」 あの人に会うと、元氣が出ました。 生きる力がわいてきました。 救われました。 とことん落ち込んでいるときも… それからです。 子どもの見方が変わったのは。 劣等感の固まりのような子、落ち込んでいる子を見ます。 以前の自分を思い出します。 今度は、私が「あの人」になる番です。 「先生、ぼくはできない」 「そんなことはないよ。今できないということは、これからできるようになるということなんだよ」 「ぼくなんて、いないほうがいいんだ」 「そんなことないよ。君がいないとこのクラスは成り立たないんだ」 「一人ひとりが重要な役割を果たしているんだよ。そのことを君が知らないだけなんだ」 教師は、変換器だと思います。 マイナスをプラスに変換して子どもに返すのです。 子どものから吐き出されるマイナスの空氣 プラスの変換して返そうよ 実行するとなると、なかなか難しいです。 意識しているときはいいのですが、無意識になると出てしまいます。 潜在意識を変えない限り、出てしまいますね。 しかし、やっているうちに変わってきます。 使う頻度が高くなるからです。 だんだんからだにしみてきます。 続けることがポイントでしょうね。 子どもの場合も同じだと思います。 具体的な(例) 否定的な言葉を使わないようにする。 プラス思考といいますが… 言葉を言い換える練習をしてみませんか。 「ぼくは勉強ができない」→ 「私なんて、どうせできっこない」→ 「やるだけ無駄だよ」→ さあ、あなたならどういいますか。 |
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呪縛 子どもを悪くしようと思って育てる人は一人もいません。 しかし、現実は…なかなかうまくいきませんね。 ほんの少しの違いが、結果として大きな違いになります。子どもがやる気をなくすか、やる気を出すか… 「あんたは、どうしてのろいの」「はやくしなさい」「ぐずなんだから」 いらいらする気持ちは、よーくわかります。朝の忙しいときなど、なおさらですね。でも、ちょっと考えてみましょう。 こういって、子どもはよくなるでしょうか。 なりませんね。 ストレス発散にはなりますが、子どもはよくなりません。 それどころか、ますますダメになります。 どうしてでしょうか。 それは、マイナスの暗示をかけているからです。 いえばいうほど、言葉どおりになってしまうのです。 自分がダメにしておいて、「子どもが悪い」… それはないでしょう。 言葉の呪縛に気をつけたいものです。 |
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やる氣にさせる方法 いいところさがし 「うちの子のいいところはありません」 こういう人がいます。もちろんてれもあるでしょう。 でも、考えてみて下さい。自分の子どもに 「うちのお母さん(お父さん)のいいところはありません」 といわれたらどうですか。 いい気持ちがしますか。 たぶん、ムカッとするでしょう。「ひとつくらいはあるでしょう」といいたくなるのではないですか。 欠点は、よく見えます。見ようとしなくてもどんどん目に入ってきます。すごいですね。この能力は。 欠点を指摘しても、子どもはよくなりません。反発するのがおちです。 いい点を見つけて、ほめましょう。 いい点は、見つけようとしなければ見えません。 「目がいい」とは、視力のことではありません。いいところを見つける目ということです。 例 全校朝会での話 「今週も一輪車のかたづけがよくありませんでした」 というのと、 「○○くんが、一輪車をかたづけてくれました。先生はとてもうれしく思 いました。○○くん、ありがとう」 というのでは、どちらがいいと思いますか。 |
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ちょっと違う発想で 「この子は落ち着きがなくて」 と、相談されたことがあります。 「落ち着きなさい」 といって落ち着いたら楽なものです。 直接いっても効果はありません。 どうやったらいいかがわからないからです。 同様に、「よく考えなさい」もいけません。「よく考える」とはどういうことかわからないからです。 うまくいかないときは、指示が具体的ではないのです。次の一手が見えないのです。「わかっちゃいるけど」できないのです。 落ち着きのない子に対しては、呼吸法を教えます。 目をつぶらせます。静かに息を吐かせます。静かに息を吸わせます。 1分間に5回以下(吐く吸うで1回)を目標にしましょう。 落ち着きがない子は、1分間に10回くらい、あるいはそれ以上呼吸しています。 深呼吸させるのがいいのです。できたら、腹式呼吸をさせましょう。みるみる落ち着きがでてきますよ。 |
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もっと私を気にかけて(子どもの表現) 子どもは、親に「気にかけてもらいたい」ために、次の観点で接します。 正の目…親がいったこと素直に従う 負の目…親がいったことに従わない。反抗する。 この二つは、どちらも「親の目」を獲得するための行為です。 ですから、子どもが「負の目」にでたとき、怒れば怒るほど子どもの作戦に乗ってしまったことになるわけです。 「私はいつもあなたを気にかけている」ことを伝えましょう。 言葉で、態度で。 そうすれば、子どもは反抗しなくなります。 子どもの可能性を信じて 天気予報は信じるのに、どうして子どもの未来を、可能性を信じないのでしょう。 成長しないのは、子どもを信じていないからです。 信じれば、その子はグンと成長します。 |
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