のひとりごと
鉄人独話
自分の人生 最近、「(管理職)試験を受けろ」というようなことをいわれることが多い。 「主幹は管理職じゃないから〜」 「学校創りのためには、管理職にならないと…」 等々。 この際、はっきりいわせてもらう。 よけいなお世話です! 自分の人生は、自分が決める。 試験を受けている人たちをみると…○○○である。 研究員… 「学級の子ども,伸びているの?」 伸びていないのである。 教師が手を抜いている。 これくらいでいいと思っている… いずれにせよ、私とは違う世界の話である。 |
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これからのこと 忙しい2学期も一段落。 大きな行事は、すべて終わった。 これからは、1月30日研究発表に向けて取り組みたい。 私の仕事 ・講師の招聘 ・実践スキル集の作成 ・学校の実践力アップ ◆講師の招聘 1月30日は、大物講師が2人である。 1人は、小池和男先生。 知る人ぞ知る東京都校長会トップの方である。 生活科を創った方といってもいいかもしれない。 大校長である。 しかし、バリバリの実践家。 私とは氣が合う(笑) すばらしい方である。 もう1人は、あの陰山英男先生。 ようやく正式にオーケーが出た。 これで、私の仕事の1つは終わった。 ◆実践スキル集の作成 現在作成中。 正月には、何とかなるだろう。 すぐ使えるものである。 ◆学校の実践力アップ 新河岸小の授業、子ども、悪くはない。 このまま発表しても、恥ずかしくはない。 私としては、学級の子どもたちをどこまで高められるか、挑戦したい。 |
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そぎ落としてみると… 先日、ある学習発表会を見た。 中でも目を引いたのが2つ。 1つは、総合的な学習の発表。 パワーポイントを使い、観客の目を楽しませた。 演出がすごかった… しかし…子どもの発表だけに目を向けると ・声が小さく聴き取れない子がいる ・内容が貧弱 などなど、大きな問題があった。 パワーポイントを使わず子どもの発表だけだったら… 根本的なところができていないのである。 もう1つは、劇。 こりにこったすばらしい演出だった。 光、背景など、プロを思わせる舞台だった。 しかし…子どもの声が小さく、セリフが聴き取れない。 歌は…録音したものを流していた… これまた演出を抜いてみたら…貧弱な発表だった。 子どもを育てているのだろうか? ここまで伸びた だから、よりよくしたい そのための演出ではないのか! 本末転倒 ごまかし 見せかけ という言葉が、頭を駆けめぐった。 2つの発表は、ものすごく評価されていたようだった。 見る人が見れば、ごまかしがわかる。 少なくとも、私は本道からはずれているように思った。 |
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教え子からの手紙 ときどき、教え子から手紙をもらう(メールも含めて)。 「先生、変わらないね」 「変わらないでがんばっているね」 などなど。 うれしいのは、教え子たちの活躍。 |
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バカの壁 養老孟司氏の本を読んだ。 私と発想が似ていると思った。 「バカの壁」… 最近、実感している。 どこかの学校の研究。 ・子どもを伸ばすための研究 だったはずが… 形に走っている。 指導案がどうのこうの、掲示がどうのこうの… 当日の見ばえばかりを氣にしているのである。 ○○小よ、おまえもか… 参観者(少なくとも私)が見るのは、子どもである。 ・目が輝いているか ・一生懸命やっているか 子どもの姿に教育の可能性を見るのである。 教師と子どもが一体となり一生懸命やった結果が… 子どもの姿にあらわれる。 子どもの伸ばすことを忘れ形に走る… 前例をくり返している… 「形も大事でしょう」 という。 あきれてものがいえない。 大事なことは「子どもの伸ばすこと」 それ以外は、どうでもいいのである。 伸ばせない者が、形に走る。 ごまかし以外の、なにものでもない。 いったい、君は何がしたいのか。 参観者にほめられたいのか。 ほめられたいためにやるのか? ※結果としてほめられることはあるが… トップに立つ者の意識、能力が問われるのである。 研究を推進する長は、心してやってほしい。 |
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新しい杉渕流 師匠からいわれた。 「45歳になったら、違うあなたが出てくる。今認められているものとは、まったく違ったあなたが…」 今、私は44歳(※今年の10月で45歳)。 もうすぐ、次元の違ってくる というのである。 何よりの言葉であった。 もうすぐ何かが生まれる という予感はある。 しかし、もやがかかっていて、輪郭がはっきりしない。 ここ数年、このような状態が続いていた。 最近、少し見えてきた。 キーワード ・知・情・意 ・笑い・ユーモア ・感動 先日、高知で授業・講演をしてきた。 そのときも、ヒントがあった。 終了後、ある人からメールが来た。 ※私にとってとても大切な人。 その人のメールから、ヒントが浮かんだ。 櫻井よしこさんとお会いした。 2時間話し合った中でも、ヒントがあった。 そして… 今までやってきたことの体系化を図る。 輪郭は、かなりはっきりしてきている。 新しい杉渕流の実践が胎動している。 |
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修行不足 2003/8/11 1学期は、修行不足だった。 頭の修行、これはかなりやった。 まあ、いいだろう。 体 トレーニングをさぼっていた。 忙しさにかまけて… 体は硬くなり、身体能力はダウンしていた。 ※健康の方は、まあまあ。 心 守りばかりだった。 苦しいことに耐える これは、自分なりによくやったと思う。 しかし、自分から何かを設定したわけではない。 来るものに対しての忍耐である。 自分から困難をつくり、耐えていたわけではない。 総合的に考えると、修行不足である。 教師としても、指導者としても、人間としても。 |
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20年かかって 最近、外部から評価されるようになってきた。 ・新聞社からの取材 ・テレビ局からの取材 ・ジャーナリストの方からの取材 などなど。 世に認められるようになってきている。 「いいものはいい」 と、認められないのが教育界。 イチロー選手が、4割打っても認められないのが教育界。 実に、不可思議な世界である。 しかし、外部から認められると… 逆輸入のようなもので、認められる。 これまた、おもしろい。 今に見ておれ(笑) |
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修行不足 修行不足を痛感。 ぎりぎりでやっているとき、ゆとりがない。 そのため、他人のねたみ、嫉妬、やっかみなどの感情を受けてしまう。 「これだけやってもいわれるのか…」 「どうして、そこまでいわれなければならないのか…」 マイナス思考になってしまう。 ぎりぎりのときほど、心に余裕を。 まだまだ、修行が足りない。 しかし、理不尽さに黙っていると、相手は図に乗ってくる。 このへんで、つめを出した方がいいかもしれない(笑) げに、おそろしきは、嫉妬なり。 |
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遊 離 最近感じていること 話していて思うのだが… 私の考えについて、いろいろいう。 それはいい。 問題は、言葉ではなく学級が、授業がそういう状態であるかどうか である。 その方の授業を見ると… 言葉と事実が遊離している。 いやいや、かけ離れすぎているのである。 私語、手紙のやりとり、手いたずら、よどんだ眼… どれをとっても、いっていることと正反対。 自分では、氣づいていないのだろうか。 |
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半歩先 人間は、一歩先しかわからない(たいていの人は)。 |
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なりふり構わず 伸びようと思ったら、格好つけないことである。 「子どもを伸ばす」 ただ1点に集中することである。 教師の成長=子どもの成長 力ある教師に教えを請うことである。 学ぶことである。 |
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1年目を終えて 転勤し新しい職場になった。 1からのスタートである。 職場によってカラーがある。やり方がある。 1年目は、それを見ていた。 おとなしくしていた(「あれで」という声あり)。 2年目は違う。 1年間の経験がある。 本格的に、学校創りをしていきたい。 ※平の立場の学校創り 私のいう学校創りは、いたってシンプルである。 ようは、子どもである。 子どもが伸びているか否かである。 たとえば… ・大きな声で自分からあいさつする ・聴くとき、じっと相手の目を見て真剣に聴く ・朝会のとき、号令無しに整列できる ・掃除、静かにていねいにできる。さぼる子がほとんどいない ・どの子の瞳も、きらきらしている ・やる気120% などなど。 このような子どもたちを育てたいのである。 |
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サークル考 20年間やってきたサークルを解散することにした。 役割は十分果たした。 ご苦労様といいたい。 この20年、いろいろなことがあった。 私には理解できないこともたくさんあった。 たとえば「忙しい」ということである。 「忙しいから、サークルに参加できない」 うーん、客観的に見ても、その人より私の方が忙しいと思う。 たとえば、「家族のため」 サークルは、土曜日にやっている。 「休みの日にやるのは…」 というのである。 現在、ひと月に休日は8以上ある。 その中の1日を勉強に充てるのができないというのである。 「家族が…」 あとの7日間でやればいいと思うのだが… どうしても理解できない。 以前いっていたサークル。 平日の午後6時からスタートしていた。 ところが、定時に集まらないのである。 定時にいるのが、代表の方と私だった (ほとんどの場合)。 ※私が一番遠かった。1時間半以上かかった。 「6時でははやいので、6時半にしましょう」 ということになった。 30分遅くしたわけである。 これで全員集まったか… 否である。 またしても、定時にきているのは代表の方と私。 以上、私にはどうしても理解できない例をあげてきた。 サークルに対する(勉強することに対する)意識が違うのだろう。 定刻集まるのは、当然だと思う。 デートに遅れる人はいないだろう。 試験の時間に遅れる人はいないだろう。 会社勤めの人なら当然のことができない。 「忙しい」 誰だって、忙しいのである。 やりくりして、来るのが普通である。 仕事がのろい、意識が低いということだろう。 学級づくりも同様である。 ・遅刻する人 ・忙しいという人 は、たいした学級はつくれない。 断言してもいい。 意識が違うのである。 みんなを待たせているという意識がない。 サークルを自分が創るんだ、盛り上げるんだという意識がない。 おいしいところだけとって帰ろうというせこい考えなのである。 新しいサークルは、会員限定制である。 私が認めた人しか入れない。 排他的なサークルである(笑) 意識が低い人が来ると、空氣が濁る。 「そんなにやらなくても…」 「そこまでやる必要はない」 という人は、違うサークルにいけばいい。 私は、とことんやりたいのである。 真剣勝負がしたいのである。 言い訳無用、事実がすべて、「事実で語る」サークルにしたい。 |
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学級崩壊に見るもの 最近、流行するもの「学級崩壊」 教育の流行語大賞? 相談されることが多い。 いずれも、末期である。 崩れてから「どうしたらいいでしょう」と相談される。 もっと早くいってくれれば、簡単に修正できたのに… プライドか? どうしょうもなくなるまで、黙っている人が多い。 (どうせいうなら、早くいってくださいね) 早期発見、早期治療。 これは、病気に限ったことではない。 末期になると、早期の10倍労力がかかる。 崩壊させる人は… 崩れが見えていないのだろう。 現象面にあらわれるまで、わからないのだろう。 20年もやっていると、崩れるのはすぐわかる。 もちろん、外面ではない。 内面の崩れである。 ほんの少しの崩れである。 他の人には、わからない崩れである。 杉渕学級といえども、崩れる。 しかし、ほんの少し崩れてもすぐに修正する。 だから、現象としてあらわれない。 「どうして、崩れないのですか」 といわれるが、崩れているのである。 見えない崩れを見る力をつけることだ。 どうしたら、その力をつけられるか? 秘密(笑) |
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評価について 先日、ある学校の学習発表会を参観した。 ある学年の歌は、ダントツによかった。 音程の狂いはあったが… その学年だけが、頭声的発声だった。 他学年は地声、ひどいものだった。 しかし、見ている人の評価は逆になっていた。 地声で歌っていた学年は ・元氣がいい ・大きな声が出ている と評価されている。 頭声的な発声で歌っていた学年は ・氣持ち悪い声 ・子どもらしくない ・音痴 などなど、さんざんだった。 それを聴いていて思った。 聴く耳がない聴衆では、真の評価はえられない。 すばらしい取り組みをしている学年が、かわいそうだった。 聴く耳を持った人には、すばらしく評価されるだろう。 |
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24時間テレビに見るもの 今年も、24時間テレビを見た。 しっかり見たのは、昨年に続き2度目である。 昨年は、ガッツ石松さんの取り組み、研ナオコさんのマラソンが心に残った。 目標に向かい、懸命に努力する姿は美しい。 自分が、自分の学級がだぶって見えた。 今年も、その思いを新たにした。 ひたむきに挑戦し続ける… 自分を変えようと努力する。 具体的な形で努力する。 100キロ走る。 口で言うのは、簡単である。 しかし、実際にやる人は少ない。 大変である。; 私も、かつて合宿に向けて100本の論文を書いた。 それが、西村知美さんの姿にだぶった。 私の学級創りは、『24時間テレビ』なんだ… このように感じた。 学級のドラマを創る中で、一人ひとりが目標に挑戦していく… そっくりだと思った。 まわりの支えがあるからがんばれる。 仲間がいるからがんばれる。 信仰と同じである。 信じる力が奇跡を生む。 |
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コレクターになっていないか 最近、ビデオを貸す機会が多い。 「授業のビデオを貸してほしい」 という依頼が急増している。 また、授業を見に来てくださる方も増えている。 とてもいいことだと思うが… 反面、「うーん」という思いがある。 私の授業を見て、ビデオを見てどうするのか ということである。 「すごい」で終わったのではなんにもならない。 活かさなければ… しかし… 実際に活かしている人は、わずかである。 見るだけでは変わらない。 むしろ、頭でっかちになる。 行動しないと… |
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無意識に学んでいる 親友との話の続きである。 彼は、何からでも学んでいる。 今回は、ホームスティーから多くのことを学んできた。 ・何からでも吸収する ・無意識に学んでいる 私と共通している。 若いころ、「海外旅行しなさい」といわれた。 海外から日本を見ると視点が変わるという。 知り合いに、海外旅行をしている人がいた。アフリカ、エジプト、タイ、モンゴル… 毎年2回は行っていた。 しかし…その人の教育を見ると… 海外旅行の経験が生かされているとは思えなかった。 明確な意識がなければ、経験は生かされない。 「活かす」ためにやろうとするのは無理がある。 ごく自然にやらなければ… このへんが難しいところである。 すごく伸びる人と、そうでない人との差かもしれない。 |
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思いの強さ 「こうしたい」という思いの強さが決め手… 最近、親友と話してそう確信した。 技術、技量以前の問題である。 どうしても「○○したい」と思うから動く、工夫する、考える。 技量の差とは、思いの強さの差である。 |
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プロの技 音楽の授業を見に行く。 少し指導させてもらう。 一人ひとり歌わせていた。 歌わせて、先生がコメントする。 不十分なときは、もう一同やらせていた。 しかし… 子どもの表情は、いまひとつだった。 そう、確かな手応えがないのである。 「自分はよくなった」 という手応えが。 指導を始める。 自分の学級なので、遠慮なくやることができた。 子どもたちが、どんどん変わっていく… 驚くほどの変わりようである。 |
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とらえる 学芸会が終わった。 チャンス 子どもを伸ばす 「今がチャンス」 「今ですよ」 職場の先生方に声をかける。 今をとらえ指導すると、1ランクアップする。 後でいいなんて思っていると、伸びるタイミングを失う。 チャンスは、一瞬である。 それをとらえるかどうか 感性とセンスによる。 漢字検定の結果が届く。 私だったら、全校児童を集めて表彰する。 惜しかった子を激励する。 合格した子はうれしい。 惜しかった子は「がんばろう」と思う。 受けなかった子も「今度は受けよう」と思う。 せっかくのチャンスだったのに… これも、タイミングの問題。 |
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閃き 基礎学力をつけたい… 今、話にならないくらい厳しい状況である。 「将来のために」 なんていっても、無駄である。 そんな意識は、まったくない。 計算力は、だいぶ伸びてきたのだが… 「計算力を伸ばそう」 というよりは、 「タイムがあがるのがおもしろい」 という感じである。 一方、漢字は… 前述したとおり、苦戦中。 しかし、最近、打開策が見つかった。 「漢字検定」である。 全国レベルの検定。 合格すれば、資格がもらえる。 これが、ヒットした。 上の級を受けた2人は、目の色を変えて練習した。 私が貸した問題集。 やってみると、歯が立たない。 いずれも、杉渕学級で一番の子である。 読むことは何とかできても… 書けない。 書き順がわからない。 言葉がわからない。 それからである。 2人の目が変わったのは… わずか2週間で、驚くほど伸びた。 |
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癒し 癒しという言葉がはやっている。 アイドルにも「癒し系」が登場する。 外で戦っている分、癒されたいという氣持ちがある。 家庭は、癒される場所である。 学級も、同様だろう。 子どもたちが癒される場所でありたい。 「癒し系」ではなく「冷やし系」が多い。 |
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一人ひとりの指導 私の学校で問題になっているのが、個別指導。 できない子をどう指導するかという問題である。 答えは、簡単である。 その子に合わせて指導すればいい。 「できない」と思っているとできない。 自分でブレーキをかけている。 いうのは簡単。 やるのも簡単。 すべての子を伸ばす これが難しい。 私の場合、毎日一人一人を指導している。 当たり前のことだが。 膨大なデータが頭に詰まっている。 予定して多ものも、瞬時に捨てる。変える。 子どもは瞬間瞬間変わるから。 その一瞬をとらえられるか。 その一瞬に指導できるか。 この辺が、大きな差となってあらわれる。 毎日見ているから、変化に氣づく。 |
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飛躍 子どもたちがぐんぐん伸びてきた。 ついに来たか! 私は、これを待っていたのである。 歌、表現読み、リコーダー、10マス計算、100マス計算などなど、すべてが伸びている。しかも、飛躍的に。 ようやく、土台ができてきたのである。 1学期は、土台づくりに焦点をあてた。 すべてに共通する土台づくりである。 ・やる氣 ・態度 ・集中力 ・アクセスタイム(取りかかり) |
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2系統の指導 ゴールデンウイークあけが、本番。 4月中に指導したことが、どれくらい残るだろうか。 無理して入れ込んだ場合、ほとんど残らない。 「あれだけやったのに…」 となるか 順調、順調となるか 例外なく結果が出る。 私の場合、意識改革からスタートした。 がらっと変わった子どもたち。 歌、音読など、驚くほど声を出すようになった。 ノートが見違えるようにきれいになった。 学習への集中力が増した。 漢字、計算など、学力が飛躍的に伸びた。 その他いろいろ。 ここで終われば、ぶっちぎりの優勝だろう。 マリナーズではないが、4月中に20勝。 喜ぶべきことかもしれないが… まだ、始まったばかり。 3月にどうなっているかが問題でである。 表面的な成長では喜べない。 子どもの内面が変わったかどうかが勝負である。 こちらは、まだまだ。
2が出てくるのが、7月(早ければ、6月後半)。 自分の指導を、1と2に分類してみるとおもしろいだろう。 どちらが多いだろうか。 そうそう、「入らない」というのもある(笑) はじめに指導ありき これは子どもに入らない。 目の前の子どもを見て、 指導法を選択する 指導法を考える 指導法を工夫する これが、前提である。 |
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才能 師匠と話をした。 その中で「才能」の話が心に残った。 「教師は、全人格があらわになるおそろしい職業」 とのこと。 つまり、自分が伸びれば、それだけ子どもが伸びる。 自分を伸ばす以外に、方法はないということだ。 これは、実感している。 実力とは… 人間として 専門家として 統率者として この3つ。 最近は、人間としての幅を意識している。 どこまで清濁併せのむことができるか。 はらをつくるということ。 どんなにがんばっても才能のない人は80点以上はいかないそうだ。 逆に、才能のある人はすぐに90点に達することができる… 一言でいうと、子どもを惹きつける魅力。 カリスマといっていい。 才能とは、天性のもの。 努力では、どうにもならないものだという。 さて、私はなんといわれただろうか。 才能はあるのか。 ないのか。 自分自身は、才能不足だと思う。 私のまわりには、すばらしい教師がたくさんいる。 その人たちにくらべると、才能がない。 しかし、努力、工夫、継続にかけては負けない。 しつこいのである(笑) あきらめないのである(笑) |
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集団と個人 集団になると、実力を発揮できない。 集団になると、実力以上の力が出る。 集団としてはダメだが、一人ひとりはいい。 一人ひとりはいまいちだが、集団としてはいい。 ここらへんを、つっこんで考えていきたい。 |
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今が旬 物事には、タイミングがある。 一瞬、時期などなど。 教育も同じである。 今が旬の子がいる。 まだの子がいる。 まだの子をいくら指導しても、効果は少ない。 (これが圧倒的に多い) 旬の子を指導すると、グンと伸びる。 「今が旬」をとらえるのは勘、センス。 これは、口でいってもわからない。 感じるものだから。 インスピレーションだから。 |
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心がけ 最近起きたことについて… あることを思い出した。 米長邦雄氏(元 将棋の名人)の話である。 対局の日の前日、雪が降り始めた。 大雪になるという予報を聴き、米長氏は家を出た。 会場近くのホテルに部屋をとり泊まった。 翌日、悠々と会場入りした。 自分が一番と思いきや、すでにきている人がいる。 元名人の大山康晴氏だった。 氏は、早朝家を出ていつもの3倍の時間をかけて会場にきたという。 あとの人たちは、遅刻… 強い人は、心がけが違う。 |
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21世紀 21世紀は、本物の時代である。 今までまかり通っていた偽りがあらわになるだろう。 うそが通用しなくなるだろう。 子どもが悪い 親が悪い 社会が悪い という教師は、淘汰されるだろう。 学校を 学級を 先生を 選べる時代がそこまできている。 それをしないのは、教師だけである。 さぼる人は、淘汰される運命にあるだろう。 本物、いいかえれば、プロの時代である。 いよいよ出番がきた! こう思うのは、私だけだろうか。 |
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集中 集中できるか。 力を集めることができるか。 分散したらダメである。 |
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腕を磨く ある学校に行き、授業をさせてもらう。 いわゆる他流試合である。 自分の学級と違い、なれ合いは通用しない。 確かな技術が必要である。 短時間に子どもの心をつかみ惹きつける。 存在感と技術が試される。 今回は、4つの学級で授業をさせていただいた。 1年生の授業 音読『くじらぐも』 6年生の授業 歌の指導 6年生の授業 歌の指導 6年生のj授業 いろいろ |
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プロフェッショナル 2 『がちんこ』という番組がある。 おもしろい。 やらせだけでは、ここまでできないだろうと思う。 3か月でプロをつくるという企画。 今、おもしろいのが、漫才と女子プロレスである。 漫才の学院長は、オール阪神巨人の巨人師匠である。 彼の言葉は、さすがにすごい。 プロである。 学院生の甘さを指摘する。意識の甘さである。 同感。 簡単にいうと、命がけでやっているかどうか である。 トミーズのまささんが学院生にアドバイス。 「今、残っているのは(芸能界で活躍しているのは)1日24時間、お笑いのことを考えていた奴や。23時間ではあかん。1日たった1時間のやが…1年で、365時間の差、5年たったらどうや?ものすごい差になるやろ。その違いだけや」 さすがに、いいことをいう。 教師にもあてはまる。 24時間考え続ける教師が伸びる。 (自分の体験からも、間違いないといえる) すべては、意識の差なのである。 もう一つ、女子プロ学院。 これはすさまじい。 学院長の神取忍さんがすごい。 半端ではない。 私といっしょである。 「命かけてやってんのか!」 そのとおり。 命がけでやった者が伸びる。生き残る。 どの世界でも共通している。 それにくらべると… 教師の世界は甘すぎる。 プロにはほど通い。 『がちんこ』を見て、くらべてみよう。 やる氣は、表現しなければ。 相手に伝わらなければ。 「最後は精神力」 これは、どの世界でも同じだろう。 どの世界でも、プロのあり方は同じ。 |
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挑戦し続ける たえず挑戦し続ける。 これが重要だと思う。 「これでいい」と思ったとき、進歩は止まり後退が始まる。 やりたいことは、たくさんある。 山ほどある。 もっと時間がほしい。 力がほしい。 |
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世紀の一戦 世界タイトルマッチ 畑山vs坂本 世紀の一戦 歴史に残る名勝負だった。 男の意地とプライドがぶつかり合う。 真っ向勝負。 見ていて氣持ちがよかった。 魂の戦いだった。 これぞボクシング。 両者が全力を出したからこそ、すばらしい試合になったのである。 私たちも、子どもと全力で真っ向勝負しなければ。 |
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名伯楽 シドニーオリンピックが終わった。 メダリストに共通しているのが、周りの人への感謝である。 「支えてくれた人たちのおかげ」という言葉が印象に残った。 支えてくれる人は、たくさんいる。 その中で一番は、監督、コーチだろう。 二人三脚といっていい。 高橋、有森選手を育てた小出監督の手腕はすばらしい。 小出監督とで会わなければ、メダルは取れなかっただろう。 もちろん、選手の才能によるところが大きい。 しかし、それを引き出してくれる人に出会わなければ、才能は開花しない。 教師と子どもの関係も同じだろう。 名選手の陰に、名伯楽あり。 |
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技術の追究 先日、「世界最速を作り出せ」(NHK)という番組を見た。 モーリス・グリーンの所属するクラブの話である。 「HSI」という。 独特の理論と練習法。 おもしろかった。 理にかなっている(理論)。 システムが確立している(実現への手だて) ことに感心した。 私自身も、自分の授業について研究しなければ。 |
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体験 今年の夏は、アメリカに行った。 コロラド州である。 いろいろな体験をした。 やはり、体験して初めてわかることが多かった。 例えば、モニュメントバレー。 あのすごさ、すばらしさは、生を見ないとわからない。 あの迫力、空氣はその場にいないとわからない。 |
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j自分が問われる 神津島は、地震と台風で大きな被害を受けた。 1週間、休校。 ついに授業再開ならず。 7月11日から、夏休みなった。 こういうときこそ、プラス思考で行きたい。 避難先の子どもたちの様子を聴いた。 なんと、向こうの学校に通っているという。 シャイな神津ッ子が。 こういうことがなければ、できない経験だろう。 めったにできない経験を活かしているようである。 私も、がんばらなくては。 |
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魂を変える 以前のことである。 自分にとって、認めたくないことがあった。 他のせいにすればできる。実際その通りなのだから。 しかし…それをすれば自分が自分でなくなる。 子どもたちの魂まで変えることができなかった… 私から離れたら、元に戻ってしまって… 悔しいが、事実である。 Jリーグ、監督が変われば下位チームが優勝する。 常勝チームが勝てなくなる。 指導者にかかっているともいえる。 そこまではできる。 しかし、監督が替わると… 勝てなくなってしまうのである。 一人ひとりの魂まで届いていなかったのだ。 といっても、これはかなり難しいことだろう。 |
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力を出せる環境 ボクシングの畑山選手が世界タイトルを奪取した。 1年間のブランクをまったく感じさせなかった。 ライト級にウエイトを上げ、減量苦から解放されたのがよかったのだろう。 スピード、パワー共に増した感じだった。 パンチの切れもすばらしかった。 自分の力を出せる環境をつくることが大事である。 |
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勘 船木vsヒクソン戦を見た。 最も強く印象に残ったのは、ヒクソンの勝負勘である。 勝負勘。 ここが勝負所だと思ったら、一氣にいくのである。 船木は、勝負所をはずした。 チャンスがあったのだが、一氣にいけなかった。 私は、ここでいくべきだと直観した… どうして、船木はいかなかったのか… この差が明暗をわけたように思う。 一瞬の隙をついたヒクソン。 そのときの集中力はすさまじかった。 一瞬の判断が勝負を決めた。 |
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研修タイム 4月から、学校のシステムが変わった。 午前五時間制、基礎の時間。 はやくも成果が上がっている。 もう一つの目玉は、研修タイムである。 月曜日の3時10分〜3時40分の30分間。 まだ2回しかやっていないが、楽しくためになる。 研究主任の私が司会をする。 そのときのテーマを決めて、話し合う。 前回は、「あいさつの基礎・基本」である。 全員に発言してもらう。 お客さんをつくらないようにしている。 きれいごとで終わらないように、 ・具体的なレベルまでおろす。 ・ポイントを抽出する。 ことを心がけている。 これを1年続けたら、学校は変わるだろう。 3回目は、5月8日。 教師の指導の基礎・基本を取り上げたい。 教師の言葉→指示 信頼関係が前提にないと、うまくいかない。 指示は、短く。 自分の指示を測ってみよう。 感覚ではなく、きちんと時間で計る。 |
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子どもの可能性 新学期がスタート。 2年連続で6年生の担任になった。 今回の子どもたちは、最初から聴こうという意識がある。 私が話をするとき、目が集まる。 これは「いける」と感じた。 急速に伸びること間違いなし。 2日目、 さっそく授業をする。音読の授業である。 教材は『とる』という詩である。 一行目のみを、一人ずつ読ませた。「はっけよい すもうとる」 わずかに一文である。 その子を見て、指導のしかたを決める。 時間がかかりそうな子は、あっさりと布石を打つ。 いけそうな子は、一氣にいれる。 がらっと変わる子が出現。 子どもは一瞬で変わる。 |
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プロフェッショナル ある番組を見た。 愛川 翔という俳優さんが出ていた。 ワンシーンを取り直すこと50回近く。 プロのすごさを感じた。 できるまで、続けるのである。 すさまじい氣迫である。 教師の世界に、どれくらいプロフェッショナルがいるだろうか… ほとんどいない… プロがでない、育たないシステムになっているから… ある番組を見た。 つぶれそうな寿司屋の主人(50代)が、達人の元で修行し直す という。 達人のお店で、1から修行する。 30年以上も寿司職人をやっているにもかかわらず、全然できない。 接客の基本、包丁の基本などができていない。 達人の弟子、22歳の子に教わるしまつである。 経験年数ではない。 意識がなければ… いたずらに年数を重ねても、力はつかない。 これは、教師も同じこと。 |
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システム 元全日本得点王、松永 章氏の講演から。 「だれでも一流になれる」という演題。 氏は、 「スーパースターには素質がないとなれないが、だれでも一流にはなれる」 という。 輝かしい経歴を持つ方だけに説得力がある。その中で、興味深かったのが、一流になるための条件である。 その条件とは。 ・環境 ・指導者 ・努力 よくわかる。 今、やっている学校づくりも同じである。 この条件がそろわないとうまくいかない。 環境…いい学習環境 指導者…子どもを伸ばす情熱と実力ある指導者 努力…子どもの努力 |
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午前五時間制 来年度から、午前五時間制を実施することになった。 子どもを伸ばすシステムが現実のものとなる。 しかも、毎日1校時は「基礎の時間」である。 あとは、内容と教師のの指導力だろう。 実は、これが一番の問題。 システムがよくなっても、最終的には人の問題になる。 自戒したい。 今までやろうとしてもできなかったことが、できる。 ありがたいことである。 現在、煮詰めている段階である。 帯に短し…「これだ」というものが出ない。 1校時を30分にする。不足分の15分は午後にまわす。 これは、いいアイディアだと思う。 次のような方式’(サンドイッチ方式)はどうだろうか。
かなりいいと思うのだが… 基礎の時間をどう使うか、ここが勝負である。 一般化しなければならない。 |
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交流授業 交流授業、最近は、5年生といっしょに歌をやっている。 『少年の日はいま』という歌である。 6年生といっしょに授業すると、5年生の集中力がすごい。別人のようになる。 マンツーマンで指導がいい。 その子にあった指導が出きる。 時間のロスが少ない。 練習の密度が濃くなる。 ごまかしがきかない。 逃げられない。 など、効果絶大である。 5年生は、みるみるうまくなってきた。 意欲的になってきた。 今後、学校づくりのメインになるだろう。 3学期 大ブレイク。 5年生は驚くべき成長を遂げた。 交流授業を見た人たちは、目が点になっていた。 しかも、授業者は新採の人である。 神津ならではの実践、市民権を得た。 次なる交流は、5年と4年。 5年生が歌を教える。 「えーっ、俺自信ないよ」 といいつつも、自信ありそうな顔。 今度は 教える番だよ5年生。 1回目 惨敗。 4年生がいうことを聴かない。 「先生、4年生がやってくれない」 担任に泣きつく。 「何いってんの。あなただって、最初はやらなかったじゃない」 漫才を見ているようでおもしろい。 すんなりいかないのがいい。 4年生との交流授業 2月19日の発表に向けて、4年生を指導。 6年生がマンツーマンで教える。 |
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学校づくり 11月下旬から 学校づくり、ようやく動き始めた。 何ごともそうであるが、全体を動かすのは難しい。 今年は、なかなか思うように進まなかった。 ようやく、一つの方向を目指して進みつつある。 今、全校で基礎学力づくりをやっている。 まずは、計算力である。 10マス計算をやらせている。たし算、引き算、かけ算とあるのだが、たし算から始めている。 これは、100マス計算の導入編である。 神津の子どもたちの学力は… いきなり100マスでは、抵抗が大きすぎる。「やりたくない」で終わってしまう。 10マス計算なら、長くても20秒で終わる。 結果もはっきり出る。 ごまかしようがない。 努力した分、すぐに結果にあらわれる。 基準が明確なので、わかりやすいのである。 私の学級では、制限時間を8秒にするなど、難度を高めている。 簡単な計算といえども、10題を8秒でやるとなると、かなり厳しい。 一瞬でも考えたら、あっという間に時間が過ぎる。 かなりの集中力が要求されるのである。 裏を返せば、10マス計算の練習をすることにより集中力をつけることができるのである。 |
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すぐにお返しが… このところ好調。運動会の取り組みは大成功、研究主任の仕事もバッチリやっている。「ねっけつくん」の仕事も順調。 知らず知らずのうちに、いい氣になっていたようである。 本人はそう思っていないのだが、心のゆるみがあったのだろう。 学級のくずれ(イニシアチブの部分) パソコンの故障 これがメッセージだと感じた。 自分が大きな仕事をなし終えた… それはいい。 どこかで「どうだ、見たか!」という氣持ちがなかったか? ないんだけど…潜在的にはあったのだろう。 堰八先生のおっしゃる「傲慢」さがでていたのだろう。 ちょっとかんがえれば、わかることである。 私1人では、何もできないではないか。 人の力を借りているではないか。 他の学級で授業をさせてももらう。 担任が許可してくれなければできないではないか。 つまり、最近の私は謙虚さが足りないのである。 こんなこともあった。 教育に関するメールマガジンを、けっこう読んだ。 しかし、内容は? 「なんだ、こんなものか」 と思ってしまった。 子どもには「人とくらべるな」といっているのに、自分はくらべているのである。 どうして、他のメールマガジンとくらべる必要があるのだ。 それぞれ、役割があるはずだ。 思い上がるな! もう1人の私が厳しくいう。 もっともである。 調子がいいときほど氣をつけなければいけない。謙虚にならなければいけない。それはわかっているはずだったのに…わかっていなかった。 初心に返ろう。 私の原点 そうか、それであのテレビ番組を見ることになったのか。 番組名は知らない。たけしの番組である。日本在中の外国人と日本人が討論する という番組である。 そのなかで、ゾマホン?という人のドキュメントがあった。 その人の祖国(ベナン共和国)に、日本語学校を建てる というのである。 しかし、祖国を旅したゾマホンは、考えを変える。小学校がない村もある。 日本語学校どころではない。 彼は貯金をはたいて、小学校建設に乗り出す。 という話だった。 これだ、私のやりたいことと同じだ。 志なのだ! そうだ、初心に返ろう。 何で私は、「学校づくり」をしたいと思ったのか。 「熱血教師の会」を立ち上げたのか。 ゾマホンさんの中に自分を見た。 あの熱い思い、志は同じである。 損得ではない。人との比較ではない。 それを思い出した… 知らないうちに涙が出てきた。 そうだ、あれが私の原点なのだ… 人のことをいっている暇はあるのか? それだけのことをやっているのか? 一つの成功でいい氣になっていないか? おまえの志はそんなちっぽけなものじゃないだろう! その通り。 私の夢は、はるか彼方にある。 小さいことにこだわってはいけない。 近くを見てはいけない。 |
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基本が… 私は、研究主任をしている。その関係で、授業を見せてもらうことが多い。 相談されることも多い。 氣になることは、基本ができていない ということである。 まず、意識である。 「自分はよくやっている」「子どもが悪い」 伸びないのを子どものせいにしている。努力不足がわかっていない。本人は、努力しているつもりになっている。 基礎学力が伸びないという若手教師がいった。 「ぼくの教え方が悪いんですかねー」 「…」 私は心の中で、当たり前だろ といったかどうかはさだかでない。 努力していると思っている。 子どもが悪いと思っている。 この2つが重なると、私がいくらアドバイスしても無駄である。 ときどき、授業させてもらう。 あまりの違いに、担任はビックリする。同じ子か?というくらい違う。 事実を見せられると、少し変わってくる。 しかし、上の2つはなかなか抜けない。 えっ、「そういうおまえはどうかって?」 さあ、学級を見て判断してもらいましょう。 |
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間接的指示の有効性 若いころ、「AさせたいならBといえ」というのがはやっていた。 最近それを思い出した。 私の指示は、この原理にかなっているものが多い。 かなり研究したので、今は無意識に出る。 一時期、「必ず、例えを使う」とことを心がけた。こじつけでもいいから、例えるのである。聴き手に合った例えを探すのである。 この修行はずいぶんやった。 効果は絶大である。 |
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学習のシステム 学習のシステムについて考えてみよう。 東京ディズニーランドは、システムがしっかりしている。細部まで、きちんとしている。掃除1つとってもそうである。 実際に見てみて、よく考えられていると感心した。 学習も同じである。 新卒のとき、すごい授業を見た。先生が発問しないのに、子どもたちがどんどん発言する。指名されないのに、次々に立って発言する。私が考えつかない意見を述べた子もいた。3年生で、ここまでできるのか… 衝撃的な授業であった。 私は、その先生に食らいついて質問した。そのサークルにも参加させていただいた。3年間勉強させていただいた。 今考えれば(今見れば)、学習のシステムが見える。 裏に隠されている学習システムが見える。 わかってしまえば、「なーんだ」ということになる。魔法でも何でもない。 誠実な努力を続ければできる。 システムをつくれば、もっとはやくできる。 最近、「朝自習」のし方について相談を受けた。 やはり、システムがしっかりしていない。機能していない。 子どもだけで学習を進めることができるシステムになっていない。 |
レポート執筆 レポートの準備は、かなり前からやっている。 ![]() 書くことはたくさんある。 以前なら山のように書いただろう。 今は、書けない。時間的なものもある。量を書く時代は過ぎたということだろう。 現在、最も意識していることは「学校づくり」である。 しかし、現在進行形であるので、詳しくは書けない。書くと迷惑がかかるからである。 フィクションとして書けばいいかもしれない。今考え中である。 次に意識していることは、「教育の本質と具体的指導」である。 理論と現実の動的統一をはかろうという試みである。 教育の本質 子どもの中に眠っている力を引き出すことだろう。子どもを「やる氣」 にさせることである。 火をつけるというか 口でいうのは簡単である。書くのも簡単である。 実際の場面を見てみよう。「やる氣」とは? ちょっと考えると、わからなくなる。 「やる氣」とは何か? 具体的指導 私なりの観点は2つある。 ポイントを押さえる 細分化する 具体化するというのは、けっこう難しい。たいていの場合、具体化までいっていない。 たとえば掃除である。 「教室をきれいにしなさい」 といったとしよう。 ここで考えてみる。「きれいにする」とは、たとえばどういうことか? いくつ例をあげられるだろうか。 7月の校内研での話題。書写の授業だったのだが、「心を込めて書く」が問題になった。 私は聴いてみた。 「『心を込めて書く』とは、たとえばどのように書くということですか」 「…ていねいに…これくらいしか、思いつきません」 ある人はいった。 改まって聴かれると答えられない。 聴かれて初めて、曖昧にしか考えていなかったことがわかる(しかし、普通はその場限りである。会が終われば忘れてしまう。そして「心を込めて」を使い続ける…) そうなのだ。私たちは、言葉いいかげんに使っているのである。 あるときそれに氣づいた。もう10年くらい前だろうか。 教師がわかっていないのだから、子どもはもっとわかっていない。 わかるとは、次の2点である。 論理的にわかる 感覚的にわかる(イメージ) この2つが重なったとき、行動が変わる。 子どものせいにする教師がいる。 「できないのよねー」 よくいうよ。あなたの指示は私でもわからない。子どもにわかるわけがないでしょう。 自分の論理、感覚で言葉を使う。聴き手の論理、感覚が問題なのである。 つまり、聴き手(子ども)の論理、感覚にあった言葉を使うことが大切なのである。 これが「相手の立場に立つ」ことであり「相手を大切にする」ことでもあると思う。 |