教師の心

可能性を信じる  
 
 
どの子にもすばらしい可能性があります。

 「そんなことあたりまえ」という人もいるでしょう。
 あなたは、本当にそう思っていますか。
 うまくいかないとき、
「この子は、いくら指導してもダメなんじゃないか?」
と思ったことはありませんか。
 私は、何度もありますよ。
 一瞬ですが。
 口で言うのは簡単ですが、信じることは、なかなか難しいようです。
 ましては、行動レベルまでおろすのは並大抵ではできません。
 教育は口ではないのです。
 行動です。

 「私は、○○君を信じているよ」
といったとしましょう。
 これは嘘です。
 本当に信じていたら、「信じている」という言葉は出ないのです。
 なぜって、当たり前になっているのですから、考えもしません。
 つまり、「子どもの可能性を信じる」ということを思いもしないレベルまで達する必要があるのです。
 私は、まだまだそこまでいっていません。(笑)
 共にがんばりましょう。


 どの子にも可能性がある
 これを実証したいです。


 子どもの可能性を信じ引き出すのが教師の仕事です。
 
 子どもの可能性を信じることから、教育は始まるのです。
 

あきらめない  

 子どもたちが荒れる最大の原因は、
 「おれたちは見捨てられた」
 という思いではないでしょうか。
 教師があきらめたら、彼らに救いはありません。
 この あきらめない は、「可能性を信じる」に直結します。
 信じるからこと続けてやるのです。
 「勝負は最後までわからない」のです。
 自分かその子が死ぬまでわかりません。
 私は今でも、関わった子どもたちに、エネルギーを送っています。
 教師ができることは、祈ることだけです。
 離れてしまったらなおさらです。
 教師があきらめたら、その子は何をよりどころにして生きていけばいいのでしょうか。
 死ぬまで勝負はわからない これが私の哲学です。


 ある番組を見ました。
 哀川 翔という俳優さんが出ていました。
 ワンシーンを取り直すこと50回近く。
 プロのすごさを感じました。
 できるまで、続けるのです。
 できそうでできないことです。
 すさまじい氣迫
 
 プロは、あきらめませんね。

 信念
 氣迫
 粘り


 「先生は、ぼく(私)を見捨てない」
 子どもがこう思ったとき、教育が始まります。
 ※私の場合「先生は、しつこい」(笑)といわれています。


 あなたの教育は、始まっていますか。
 
 


  

 あたたかく あたたかく

 子どもたちはすばらしい可能性を持っています。
 それを発揮させるのが教師の役目です。
 可能性は、「春風のあたたかさ」でのみ、発露します。
 怒っても子どもはよくなりません。
 あたたかくあたたかく接しましょう。

 このあたたかさは、甘えさせることとは違います。

 似て非なるものです。
 非常にデリケートで難しいところです。
 ※甘やかしになっていることが多いです。
 子どもたちに伝わらないと意味がありませんから。


 ときに北風も有効です(笑)
 北風に吹かれ、太陽のあたたかさを自覚できます。

 

 

 

 
 よい点を見る

 子どもをよく見ましょう。
 その子のよい点を見つけましょう。
 悪い点は、見ようとしなくても目に入ってきます。
 それも大量に。
 すごいですね。この力(笑)
 この点、だれでも大天才です(笑)

 よい点は、目を皿のようにしないと見つかりません。

  わずかに光る一点を
  かすかに光る一点を
  一瞬のきらめきを

  とらえましょう。
  見つけましょう。
よい点を見つける望遠鏡

よい点を拡大する顕微鏡
広角レンズ


 よさを見つけるために子どもを見ましょう。

 よさを見つけた人は幸せです。
 よさを見つけてもらった人も幸せです。

 自分のよさを見つけてくれる教師にのみ、子どもは心を開きます。

 


 愛で満たそう

 愛でいっぱいになったとき、
 愛があふれ出たとき、
 子どもは自ら動き始めます。