プロの目



  プロの目
  
 素人には見えないものが見える。 
 素人にはできないことができる。
 不利な状況を打開できる。

 これがプロです。
 
 プロの見方・考え方

 何のために見るのでしょうか。
 立ち止まって、考えてください。

 私の場合は、ほめるために見ます。
 ほめて子どもを伸ばすために見るのです。

 プロはほめるために見る。

 よくないところは、見ようとしなくても目に入ってくきます。
 いいところは、見ようとしなければ見えません。
 存在しているのですが、目に入らないのです。
 指摘されて、「あっ、そうか」と氣づきます。
 しかし、それでは遅いのです。
 リアルタイムでなければ、効果がありません。
 いいところを見つけ、タイミングを逃さずほめるのがプロです。

 その一言が、子どもを伸ばし
 一言の積み重ねが、奇跡を生む

と思います。

 ここで、2つの見方を紹介します。

 拡大の目…わずかな点を、虫眼鏡で拡大してほめる。
 逆転の目…ほめられない状況でもほめる。

 拡大の目

 ほんのちょっとしたことの中に価値を見つけ、それを虫眼鏡で拡大します。
 子どもが氣づかないことをほめるのです。
 
 「どこやるんだっけ」といった子を、ほめる。
 →「やる氣がある」
 「今日は、○ページやる」とわかっている子を大いにほめる。
 →「やるところがはっきりわかっている」
 今日やることはこれだ と黒板に書いてあることを見た子をほめる。
 →「どこをやるのか、確かめている」
ほめられた子を見てすぐに反応した子をほめる。
 →「すぐに反応する、反射神経がすごい」
 口を結んでいる子をほめる。
 →「やる氣を感じる。口を閉じる大切さがわかっている」
 真剣に聴いている子をほめる。
 →「君は一生の財産を手に入れたね」


 感覚を磨いていないと見えません。
 
 逆転の目

 絶対的に不利な状況を、有利にしてしまう大逆転の技。
 表と裏は同原です。
 ピンチはチャンスでもあるのです。
 
 返事が小さい子をほめる。
 →「恥ずかしがらずに声を出したね」
 「算数、いやだなー」といった子をほめる。
 →「いやなのにやろうとしている。すばらしい」
 しゃべっている子をほめる。
 →「みんなの集中力を試している!」
 騒いでいる子をほめる。
 →「君はエネルギーがすごい!」
 教師に反抗する子をほめる。
 →「自分の意志をはっきり表現している」
 「わかんないよー」といった子をほめる。
 →「わからないことをわからないといえる。
   なかなかできることじゃない」
 「できないよー」といった子をほめる。
 →「きちんといったのがいい」
 問題を書かない子をほめる。
 →「先生を頼りにしてくれているね」
 答えを書かない子をほめる。
 →「不正確なことは書かない、きちんとやろうとしているね」
 補助計算を書かない子をほめる。
 →「書かなくてもできるのがすごい」
 字が汚い子をほめる。
 →「これからうまくなるぞ。君には素質がある」
 字が雑な子をほめる。
 →「頭の中はていねいだ」
 たどたどしい読みをしている子をほめる。
 →「これからうまくなるぞ」
 ゆっくり(たらたら)読んだ子をほめる。
 →「じっくりていねいに読んだね」
 声が小さい子をほめる。
 →「声を出そうと努力しているね」
 口を開けていない子をほめる。
 →「もう少し口を開けたら、うますぎちゃう」
 無表情な子をほめる。
 →「よくそれだけ声だけで表現できるね」
 教科書を見っぱなしの子をほめる。
 →「正確に読もうとしているね」
 途中でイヤになってしまった子をほめる。
 →「よくここまでがんばったね」
 書けない子をほめる。
 →「考えすぎるくらい考えて書けなくなったんだね」
 発言しない子をほめる。
  →「発言しようかするのよそうか、心の中で戦っている」
 1回も発言しない子をほめる。
 →「よく聴いていたね」
 友だちの発言をしゃべって聴いている子をほめる。
  →「同時に2つのことができる。聖徳太子並だ」

 調子がいいときは、なんでもいいのです。
 問題は不利な状況のときです。 

 不利な状況をどう打開するか…
 打開できるのがプロなのです。

 ※合わせて、長所進展法の稿をお読みください。長所伸展法



  見方・考え方は言葉にあらわれる

 柔道、オリンピックの金メダリスト山下氏の話を聴いたことがあります。
 印象に残ったのは、食べ物の話です。
 氏は好き嫌いがないそうです。
「おいしいか、すごくおいしいかのどちらかですね」
 この言葉が印象に残りました。
 
 ふつうだったら「おいしいか、おいしくないか」というところです。
 さすがですね。
 いうことが違います。
 見方が違います。

 以前、通知表について話し合ったことを思い出しました。
 もう10年以上も前のことです。
 3段階評価でした。
 「よい」「ふつう」「がんばろう」
 となっていました。
 私は、この言葉をかえようと提案しました。

 「すごくよくできた」「よくできた」「できた」

 しかし…認められませんでした。
 まだ20代だった私はかみつきました。
「できないというのは、教えている我々の責任じゃないですか」
「『がんばろう』をつけるのは、教師の教え方がよくないということじゃないですか」

 評価の項目、言葉は変わりませんでした。
「言葉じゃないのよ。中身が大切なのよ」
とベテランの先生にいわれました。
 納得できませんでした。
 中身は言葉にあらわれると思っていたからです。

 その人の見方・考え方、大きくいえば思想は、言葉にあらわれると思います。
 
 「おいしいか おいしくない」
 と
 「おいしいか すごくおいしい」

は決定的に違うと思います。

 見方・考え方、大きくいえば思想は、言葉にあらわれます。

 眼力