プロの目 |
プロの目
これがプロです。 プロの見方・考え方 何のために見るのでしょうか。 立ち止まって、考えてください。 私の場合は、ほめるために見ます。 ほめて子どもを伸ばすために見るのです。
よくないところは、見ようとしなくても目に入ってくきます。 いいところは、見ようとしなければ見えません。 存在しているのですが、目に入らないのです。 指摘されて、「あっ、そうか」と氣づきます。 しかし、それでは遅いのです。 リアルタイムでなければ、効果がありません。 いいところを見つけ、タイミングを逃さずほめるのがプロです。 その一言が、子どもを伸ばし 一言の積み重ねが、奇跡を生む と思います。 ここで、2つの見方を紹介します。
拡大の目 ほんのちょっとしたことの中に価値を見つけ、それを虫眼鏡で拡大します。 子どもが氣づかないことをほめるのです。
感覚を磨いていないと見えません。 逆転の目 絶対的に不利な状況を、有利にしてしまう大逆転の技。 表と裏は同原です。 ピンチはチャンスでもあるのです。
調子がいいときは、なんでもいいのです。 問題は不利な状況のときです。 不利な状況をどう打開するか… 打開できるのがプロなのです。 ※合わせて、長所進展法の稿をお読みください。 ![]() |
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見方・考え方は言葉にあらわれる 柔道、オリンピックの金メダリスト山下氏の話を聴いたことがあります。 印象に残ったのは、食べ物の話です。 氏は好き嫌いがないそうです。 「おいしいか、すごくおいしいかのどちらかですね」 この言葉が印象に残りました。 ふつうだったら「おいしいか、おいしくないか」というところです。 さすがですね。 いうことが違います。 見方が違います。 以前、通知表について話し合ったことを思い出しました。 もう10年以上も前のことです。 3段階評価でした。 「よい」「ふつう」「がんばろう」 となっていました。 私は、この言葉をかえようと提案しました。 「すごくよくできた」「よくできた」「できた」 しかし…認められませんでした。 まだ20代だった私はかみつきました。 「できないというのは、教えている我々の責任じゃないですか」 「『がんばろう』をつけるのは、教師の教え方がよくないということじゃないですか」 評価の項目、言葉は変わりませんでした。 「言葉じゃないのよ。中身が大切なのよ」 とベテランの先生にいわれました。 納得できませんでした。 中身は言葉にあらわれると思っていたからです。 その人の見方・考え方、大きくいえば思想は、言葉にあらわれると思います。 「おいしいか おいしくない」 と 「おいしいか すごくおいしい」 は決定的に違うと思います。 見方・考え方、大きくいえば思想は、言葉にあらわれます。 |
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眼力 | ||||||||||||||||||||||||||||||||